自然回帰の予兆-御嶽山噴火
2015年6月7日、岐阜・長野の県境にそびえる御嶽山で山開き式が行われた。
また昨年、2014年9月27日の噴火による犠牲者への慰霊祭も執り行われた。
死者57人、行方不明者6人。
「日本百名山」にも選ばれ、登山者に愛される御嶽山に別の顔があった。
御嶽山は標高3,067m。山岳信仰の山でもある。
修験道の開祖・役小角の時代(634-706年)には、噴火とはほど遠い山であった。
記録に残る噴火は、わずか2回。1979年10月28日および、2014年9月27日。
御嶽山噴火の報に接した日本人は、長い日本の歴史に鑑みれば、限りなく少ない。
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自然災害を予知する動物たち
1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災、2014年の御嶽山噴火。こうして書いてみると、いかに自然災害の頻度が上がっているかよくわかる。結果、終末思想が囁かれ、Webは予言者の巣窟となった。いずれの災害においても、それを予知したと話す人々がいる。特に不思議なことだとも思わない。災害の前に、一斉にその場を去るネズミの話は有名だ。あるいは地震とナマズの関係。
普通の人間にも災害予知ができる?
人間とて動物の一種である。文明の利器に毒され、動物よりはるかに五感が鈍くなっているとはいえ、体が敏感に異変を察知する者はいるだろう。それが夢であれ、頭痛であれ、耳鳴りであれ。ただ、悲しいかな、ネズミのように、簡単にその場を去ることができない。事が起きるまでは、ただの戯れ言と一笑に付されるのだ。
案外、多くの人が災害の前に何らかの異変を感じ取っているのではないだろうか。
例えば「耳鳴りがする。珍しいな」と思ったところで、寝込むほどでなければ、そのまま仕事を続けるだろう。そして耳鳴りが消えれば、忘れてしまってメモに残すこともない。
記録がないから、自己の体調不良と自然災害とが紐付かない。
もちろんすべての体調不良が自然災害に紐付くなどとは言わない。
しかし、このことについて、長いスパンでデータを残してみることは、無意味ではないだろう。
個人的な体験
なぜこんなことを書くのかといえば、最近、私自身が2011年のメモを見返して仰天したからだ。当時、ごく簡単なスケジュール・ノートを使っていた。
毎日きちんと日記を書く習慣はないので、変わったことがあったときだけ、そこに書いていた。
2011年3月10日に不思議な体験をした。
この日は曇天だった。にもかかわらず、一瞬にして真っ白い光に包まれた。
徹夜明けで、仮眠を取っていたときだった。
あれほどの光は見たことがない。とはいえ、私の目は閉じていた。
それは数分で終わった。数秒だったのかもしれない。熱さも冷たさも感じなかった。
恐怖もなかった。ただ、ただ、強烈な白い光に包まれていた。
しかし、はっきりと目覚めたときに見たのは、相変わらずの曇り空。そして部屋も薄暗い。
「今の光は何だったのだろう?」という思いだけが残った。
あまりにも不思議だったので、ノートに書き残した。
翌、3月11日、あの大災害が起きた。
私は中国地方に住んでいる。正直、実感がなかった。
ただネットやテレビを通して、そのニュースを知ったにすぎない。
生業(なりわい)は占い師でもない。
前日の不思議な出来事と、あの災害とが結びつかなかった。
その後、同じ体験はない。
しかし「キーン」という耳鳴りや、軽いめまいはある。
その中の一つが、御嶽山の噴火の予兆を感じ取ったものでないとは断言できない。
オカルトを語らず
私は、オカルトを語りたいのではない。
災害を予知しても、防ぐだけの力がなければ意味はないとすら思っている。
いたずらに社会不安を煽るだけだ。
卑弥呼の時代であれば、鬼道をもって民衆を救うことができたかもしれない。
「このような大災害の夢を見た。ここにいては危険だ」と宣言し、
邪馬台国の民を連れ、安住の地へ逃れることもできただろう。
政(まつりごと)は、その字義どおり祭祀(まつりごと)だったのだ。
時は移り、国の概念も政(まつりごと)の概念も変わった。
もはや助かる者も助からない時代となったのかもしれない。
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